増えたものなくなったもの
明けましておめでとうございます。
今年もちょくちょく書いていこうと思います。
赤ちゃんが産まれ、人が一人増えたのはもちろんですが、そのほかにもいろいろな変化がありました。
増えたもの
・赤ちゃんグッズ(当たり前ですが)
・エアコン
親に手伝いに来てもらうときの寝室用に新しく購入(今までは3LDK夫婦二人で1台でした)
・テレビ
同じく親の寝室用(妻の友人からいただきました)
・棚・ボックス
赤ちゃんの服、タオル等を収納
・洗剤
これも赤ちゃん用として
・家族・親戚との時間
おじいちゃん、おばあちゃんはやっぱり孫の顔が見たい。手伝ってもらえるのでこちらも助かります。
なくなったもの
・リビングのローテーブル
赤ちゃんをリビングに寝かすため移動。
・これまで掃除していなかった部分
赤ちゃんが来るので一応掃除しておかないとということで。
・携帯のメモリー
赤ちゃんの写真、動画をめちゃくちゃ撮るようになります。ご経験ある方はよくご存知だと思いますが、やたらめったら何かと保存したくなります。
これからおもちゃやら洋服やらどんどんものが増えていくと思いますが、楽しんで日々過ごしていこうと思います。
また、子どもの将来を思い浮かべながら教育学を中心に勉強を進めていこうと思います。
#育児日記 #慶應通信
家族が一人増えました
しばらく記事を書いていなかったらはてなブログさんから「記事書いてないですよ〜」という催促のメールが来ました。
というのも12月12日(水)15時21分に元気な女の子が誕生し、家族が一人増えました。
その後から何かとバタバタしており、気付いたら年がほぼ暮れかけています。
分娩室に入るぐらいのときの病院から見えた空。
午前中ずっと雨だったのですが、午後からだんだん雨も上がり15時ごろには晴れ間が広がってきました。
出産に立ち会ったのですが、立ち会って本当に良かったと思っています。
今もう30歳を過ぎていますが、心のどこかで人から人が出てくることを信じていなかった部分があったことに気づきました。それを今回疑いのない事実であることが確認できました。
「こどもが生まれました〜」とかSNSでよく見ると思うんですけど、その一言に至る経緯って相当のものがあります。
陣痛から始まる妊婦の痛み疲労も想像を超えるものでしたし、こども一人の誕生のためには多数の大人が昼夜を問わず関わっているということも知ることができました。
病院のみなさんに本当に感謝です。
また、医療が発達している現代でこれほど大変な出産が、遥か昔から連綿と行われていて、私がいて妻がいて、そして子どもがいて孫に繋がってこれからも同じように連綿と続いていくということに思いを馳せると、いつの時代にもいくつものドラマがあって、自分が経験したこの瞬間は自分にとっては人生の一代イベントではあるものの、人類、生命の壮大な繋がりから考えると本当に見えないぐらいの「点」でしかないことも同時に感じました。
これからは家族3人で自分たちの人生を見つめながらささやかで自分たちが満足する生活をしていこうと思います。
子どもが生まれてから2週間と少し経ちました。
よく思うことは「思っていたよりかわいい」
生まれた直後から思いました。
今はだいぶ人間になりましたが、実際新生児ってお猿さんみたいで他の人の赤ちゃんを見ても口ではかわいいと言いますが、本当のところそうでないところも正直あります。
ありますよね?
でもそこは自分の子どもだからかわいく見えるみたいです。
そんなことを思いながら、親バカになりながらもあれもこれもと与えすぎることなく、将来の道をなんとなく示すことができる親を目指して私自身も成長していかなければならないですね。
教育学で得られる知識をどれほど自分の子どもに与えられ、10歳、15歳、20歳になったらどんなふうになるのか今から楽しみです。
#出産 #新生児 #慶應通信
Anniversary
結婚5周年記念でした。
料理は言うまでもなく美味しく、かつ、眺めが良い席を用意していただき天気もとても良かったため、とても素敵な時間を過ごすことができました。
お店の方ありがとうございました。
5年前とあまり変わってない気もしますが、5年という時間は間違いなく流れ、妻のお腹の中にはもう少しで生まれる命があるなど、確かに変化は生じていると改めて考えることができました。
来年はどうなっているのか、そして、さらに5年後はどうなっているのか。とても楽しみです。
さて、レポートの締め切りが11月26日ですが、勇気を持って今回は見送ることに決めました。
秋に入学して、ようやくなんとなく慶應通信の全体像がぼんやり見えてきた気がします。このような状態で即席のレポートを作って中途半端な評価をいただいても納得がいかない訳なので、特に卒業期限の定められていない環境だからこそできること、納得のいくレポートを提出しようと思いました。次に必ず提出します。
とはいえ、参考文献を読むのになかなか時間がかかっているなぁという感じです。
でも本が面白いです。その中でも印象深いのが以下の一節です。
「わたしたちの欲望と能力とのあいだの不均衡のうちにこそ、わたしたちの不幸がある。」
「それはただ、能力をこえた余分の欲望をなくし、力と意思とを完全にひとしい状態におくことにある。そうすることによってはじめて、いっさいの力は活動状態にあり、しかも心は平静にたもたれ、人は調和のとれた状態に自分をみいだすことができる。」
(ルソー『エミール(上)』今野一雄訳、岩波文庫、1991年、104頁)
自分が欲しいと思ったものを手に入れることができないと、そこには悔しさや惨めさが生じて、人は自分が不幸であると感じる。
美味しいものを食べたい、いい家に住みたい、いい車に乗りたい、ファーストクラスで海外旅行に行きたい・・
考えたら切りがないです。
特に資本主義では欲望が止まらないです。
その中で幸福な状態で生きるためには自分の能力をよく理解すること。自分の能力以上の幸福は手に入れることができないことを承認すること。ただ、それは今の状態を言及しているだけです。今後、自分の能力が開発されていけば、それだけ幸福感は高まっていくということです。
上記のルソーの言葉をそのまま受け取ると、「自分はこんなもんか・・・」と諦めの念を抱いてしまいそうですが、それは違うと私は考えています。5年後、10年後、30年後とどれだけ自分の人生が幸福になっているのかとても楽しみです。自分が幸福になれるかについては、自分ではコントールできない外部の環境による影響があるのは確かですが、主には自分の考え方と努力次第だと考えています。
成長のスピードは子どもには到底敵わないことは承知しておりますが、生まれてくる子どもと一緒に、また、慶應通信の方々と一緒に成長し、自分の能力を開発していけたらと思っております。
長々と書いてしまいましたが、お伝えしたいことはつまり、「今日はとてもいい結婚記念日になりました。」ということです。
#帝国ホテル #嘉門 #慶應通信 #ルソー #エミール
美術館賞
上野の国立西洋美術館(世界文化遺産)に行って、ルーベンス展をにてルーベンスの作品を鑑賞しました。
美術はまったく詳しくないですが、大学で勉強したい一つの分野です。
ルーベンスの絵はとにかく人間描写と肉体描写。
この展覧会ではルーベンスが参考にした人間の彫刻も展示してあり、筋肉の盛り上がった感じや、人の表情がよく絵画に転じられていると感じました。
主として描かれる人間は、すべからく男性であれば筋肉質であり、女性であればふくよかな方々でした。
昔ってそんなに筋肉質で肉付きの良い人がいっぱいいたのかな〜とか思いながら見てました。
それに比べるとモデルとかみんな触ったらすぐ折れちゃいそうで、現代の方がやせ細っていて貧弱な感じがします。画家が描きたいのは、触ったらどうなるのかな〜とか想像力を掻き立てられるものなのでしょうか。
僕はもともと思っているのですが、今日の展示を観て改めて間違っていなかったと確信できました。
「痩せてりゃいいってもんじゃない。」
そして、自分も少し筋肉付けなきゃいけないかな。
数々のルーベンスの絵を観ながら考えていたのは、人に好きなタイプを聞かれたときの答えとして
と答えてみると相手はどう思うかなとか考えてました。
1.ぽかんとするか、2.引くか、3.「ユーモアと知性を兼ね備えた人だな」と思われるか。
おそらく大抵の人は前者の二つだと思うので、特に初対面の人にはこのようなやり取りは絶対しないと思いますが、筋肉質な男性が好みの方は一見の価値があると思います。
ルーベンスは解剖学にも精通していたこともあり、筋肉の仕組みも理解した上で描いています。(骨とかもやけにリアルだったりします。)しかも、みんな少し渋めな雰囲気を醸し出しながら筋肉質なんです。
RIZAPにいる30代ぐらいの年齢の方の鍛えている姿も魅力的だとは思いますが、たまにはなかなかお目にかかることのない味わいもいかがでしょうか。
しかも。学生は1,000円で鑑賞することができます。
学割が使いたいという思いもあり行って観たのですが、行ってすごく良かったです。
ルーベンス以外の画家の絵もちらほら展示しております。
興味深かったのが、ルノワールがルーベンスの絵画を模写している作品が展示してありました。
陰影を強調し、一人一人を健康的に美しくはっきりと描くルーベンスの作品を見本としながらも、印象派のルノワールはやはり全体的に光に包まれたような「ふわっ」とした感じに仕上げておりました。
後世に名を残す有名な人物たちも日頃の鍛錬、試行錯誤は不可欠だったようです。
あとは一つ一つの絵画がでかいです。
ともあれ見応えは存分にあるので、芸術の秋に行ってみるものいいと思います。
「考える人ネクタイ」を買おうかだいぶ迷ってやめました。
教育学SONG
散々悩んでいたチャイルドシートをとうとう買いました。
https://www.aprica.jp/b/pc/Product.html?mthd=07&PC=CURURILAAC&SC=ACP
うちの車が2009年式でISOFIXの固定バーは付いているものの、チャイルドシートによっては適合していないものも見受けられたため、唯一、シートベルト固定、ISOFIX固定かつ回転式の物を選ぶ運びとなりました。
かなり大きいので、運転席の後ろの座席に取り付けることができるか心配。
明日やってみます。
何かあったら・・・と考えるとやはり最終的にはそれなりの物を選んでしまいますね。
勉強の話題ですが、11月26日までのレポート提出に向けて教育学のテキストを読み込んで、他の文献デューイの「民主主義と教育」も読んでいるのですがやはり間に合わない模様。
というか、もっと文献を読んでしっかりしたレポートを出したいという気持ちが強くなってきました。(ルソーの「エミール」(上)、(中)、(下)等々…)
「どう教育するか」、「教育とは何か」という学問は自分にとってかなり関心のあるものみたいです。
“「人間形成」の方法の問題”という章で、「人間の形成」(人間(子ども)を「善く」しようとするもろもろの活動)の方法について、過去からの順番として以下の方法が紹介されています。
❶「鋳型にはめる」方法
「善い人」のイメージを実現するために、「刻印」「染物」「錬成」「指導」「訓練」といった手段を重視する方法。また、あたかも粘土をこねて形を造るように、子どもを「善い人」の形に作り上げる仕方で結合する方法。
(「善い人」イメージは子どもの外に存在する)
❷「自発性」を重んじる方法
子どもの自発性を重んじて「自由」「自主」「放任」といった手段を強調する方法。
(「善い人」イメージは子どもの内に存在する)
❶、❷の方法が歴史上対立し(今も続いてるかもしれないが)、ルソーの登場以降❷の方法に立つ教育思想が形成され、教育活動の工夫が行われることになっていったそうです。
ただ、、外からの働きかけ自体が不要?
いや、ルソー自身は外からの働きかけを否定するつもりはないとテキストでは述べられています。
我々(子どもより成長した人間)はでき上がった「善い人」(結果像)を目指す途中にある「でき上がりつつある善い人」(過程像)であるとし、子どもはいつか我々の時点を通過することになる。
つまり、子どもの自主性を重んじたとしても何らかの子どもへの外からの働きかけをやめることができないという事実がある。また、いくら結果像で子どもをはめ込んだとしても、子どもたちは必ずしもその通りに育つことはなく、その子なりの「結果像」を作り出していく。
ここから3番目の方法が 提起されることになる。
(田中克佳著「教育学」より)
この辺りを読んだ後にたまたまある曲を聞いたら、まさにこの部分、特に3番目の方法を歌ってる歌があって妙に納得したわけですが。
「大人の言うことは聞いて。ただ、全部正しいわけじゃないから言う通りにしろと言うつもりはないよ。いいところは取り入れて、ダメだと思うところは自分はやらないようにしなさい。」
当たり前のことかもしれないが、文章にしたり歌にして人に伝えることができることにすごく関心してしまったわけです。
同時に、やはりこの昔より大幅に進歩した(と思われる)現代においても教育方法については、人々の大きな関心事項であり回答を見出すに至っていないという事実もまた発見できました。
それでは聞いてください。NakamuraEmi で「大人の言うことを聞け」
子どもにはその子のためになることを少しでも遺したいと思うわけで。
#慶應通信 #教育学
オリエンテーション
昨日、秋期入学オリエンテーションに参加させていただきました。
「卒論のテーマを何にするか」
通学時は4年生になったぐらいで感が始めたような気がします。
しかし、この通信では今から考え始めています。オリエンテーションでも早く自分の卒論のテーマに合った教授を見つけることが大切だとおっしゃっておりました。
確かにそうかもしれません。
ここでは、まだ絞りきれてはいないにせよ、みんな何かしら学びたいテーマがあって入学しています。
「数学できないから商学部、経済学部はないな〜。そんなに本がすごく好きでもないから文学部でもないな〜。法律にも興味ないからな〜。残るは政治か。」
みたいな、通学入学当時のような感じで決めてません。
この点からしても、1回目の大学生とは全然異なっていると感じました。
当時は(親に学費を出していただいて)入学して、単位取って進学して、卒業して、就活して就職するということをいかに楽に、遊びながら達成するかということが全てと言っても過言ではなかったと思います。
それがダメだったかと言えばそうでもないのですが、自分に対しても親に対しても今大いに反省している部分はあります。
今回は自分で投資し、学びたいことが決まっており、卒業しなければいけない期間も決まっていない。
試験を受けるためにレポートを出さなければいけない期限はあるが、基本的には自分のペースで進めていける。
この機会を存分に活用していこうと改めて思いました。
文学部の説明をしていただいた西川教授が書籍は「学術書籍かつ原典にあたるべき」とおっしゃっていたので、選択外国語でドイツ語をやってみようかとも思ってます。
もちろん西川教授の美学美術史学も学びたい分野の一つです。
ただ、テキストではなくスクーリングの授業なので来年必ず履修しようと思います。
昨日は文学部1類の知り合いを作ろうと思ってましたが、叶わなかったので同期入学の方と繋がることが目下の目標です。
#慶應通信