教育学SONG
散々悩んでいたチャイルドシートをとうとう買いました。
https://www.aprica.jp/b/pc/Product.html?mthd=07&PC=CURURILAAC&SC=ACP
うちの車が2009年式でISOFIXの固定バーは付いているものの、チャイルドシートによっては適合していないものも見受けられたため、唯一、シートベルト固定、ISOFIX固定かつ回転式の物を選ぶ運びとなりました。
かなり大きいので、運転席の後ろの座席に取り付けることができるか心配。
明日やってみます。
何かあったら・・・と考えるとやはり最終的にはそれなりの物を選んでしまいますね。
勉強の話題ですが、11月26日までのレポート提出に向けて教育学のテキストを読み込んで、他の文献デューイの「民主主義と教育」も読んでいるのですがやはり間に合わない模様。
というか、もっと文献を読んでしっかりしたレポートを出したいという気持ちが強くなってきました。(ルソーの「エミール」(上)、(中)、(下)等々…)
「どう教育するか」、「教育とは何か」という学問は自分にとってかなり関心のあるものみたいです。
“「人間形成」の方法の問題”という章で、「人間の形成」(人間(子ども)を「善く」しようとするもろもろの活動)の方法について、過去からの順番として以下の方法が紹介されています。
❶「鋳型にはめる」方法
「善い人」のイメージを実現するために、「刻印」「染物」「錬成」「指導」「訓練」といった手段を重視する方法。また、あたかも粘土をこねて形を造るように、子どもを「善い人」の形に作り上げる仕方で結合する方法。
(「善い人」イメージは子どもの外に存在する)
❷「自発性」を重んじる方法
子どもの自発性を重んじて「自由」「自主」「放任」といった手段を強調する方法。
(「善い人」イメージは子どもの内に存在する)
❶、❷の方法が歴史上対立し(今も続いてるかもしれないが)、ルソーの登場以降❷の方法に立つ教育思想が形成され、教育活動の工夫が行われることになっていったそうです。
ただ、、外からの働きかけ自体が不要?
いや、ルソー自身は外からの働きかけを否定するつもりはないとテキストでは述べられています。
我々(子どもより成長した人間)はでき上がった「善い人」(結果像)を目指す途中にある「でき上がりつつある善い人」(過程像)であるとし、子どもはいつか我々の時点を通過することになる。
つまり、子どもの自主性を重んじたとしても何らかの子どもへの外からの働きかけをやめることができないという事実がある。また、いくら結果像で子どもをはめ込んだとしても、子どもたちは必ずしもその通りに育つことはなく、その子なりの「結果像」を作り出していく。
ここから3番目の方法が 提起されることになる。
(田中克佳著「教育学」より)
この辺りを読んだ後にたまたまある曲を聞いたら、まさにこの部分、特に3番目の方法を歌ってる歌があって妙に納得したわけですが。
「大人の言うことは聞いて。ただ、全部正しいわけじゃないから言う通りにしろと言うつもりはないよ。いいところは取り入れて、ダメだと思うところは自分はやらないようにしなさい。」
当たり前のことかもしれないが、文章にしたり歌にして人に伝えることができることにすごく関心してしまったわけです。
同時に、やはりこの昔より大幅に進歩した(と思われる)現代においても教育方法については、人々の大きな関心事項であり回答を見出すに至っていないという事実もまた発見できました。
それでは聞いてください。NakamuraEmi で「大人の言うことを聞け」
子どもにはその子のためになることを少しでも遺したいと思うわけで。
#慶應通信 #教育学